02
急に落ち着きをなくしてうろうろと視線をさ迷わせた昼の顔を、夜は着物を絞る手を一旦止めて覗き込む。
「昼?本当に大丈夫か?」
「っ、だ、大丈夫だから早く服着て!」
「ん?お、おぅ」
ポタリと前髪から落ちた滴をうっとおしそうに掻き上げ、夜はふるりと首を横に振って水滴を振り払った。
「ほらっ、いくら夏でも風邪引いちゃうといけないから早く」
夜からやや視線をずらして言う昼の、あまりにも挙動不審な態度に夜は首を傾げ、…閃く。
「…なぁ、昼。濡れたままの服着る方が風邪引かねぇか?」
「え?あ、そ、そうだね。じゃぁ、早く着替えに…」
じゃり、と夜から離れる様にそそくさと足を踏み出した昼の腕を夜は掴む。
そして、流れるように掴んだ腕を引き寄せてみると、昼の顔はみるみるうちに赤く染まった。
「………」
「………」
「…可愛すぎだろ」
「え?」
腕を掴む手とは逆の手を昼の腰へと回し、ぎゅうと深く己の胸の内に抱き込む。
「―っ!?待っ、夜!」
ひやりと濡れた夜の肌に熱を持った頬がぶつかる。
「――…」
「……昼」
「…ぅ」
もぞもぞと始めは逃げようとした昼だったが、そのうち押し付けた頬からじわじわと心地好い熱と鼓動が伝わってきて、…ふっと体から力が抜けた。
ちらりと、仄かに目元を赤く染めた昼が観念した様に夜を見上げ、その視線に気付いた夜はゆるりと優しく笑う。
「…風邪引いても知らないからね」
照れ隠しで口をついて出た言葉は素っ気なく。けれども、言葉とは裏腹に夜の脱いだ着物の端をきゅっと握ってきた昼は誰よりも可愛く。
「あんまり煽るなよ昼。離してやれなくなっちまうぞ」
「……別に、夜なら良い」
ポツリと昼の口から溢れた言葉に、夜は愛しげに瞳を細めた。
「ほぉ…、やるなぁリクオも。さすがわしの孫じゃ」
それをぬらりひょんが眺めて、にやりと笑っているとも知らず二人の距離は徐々に近付いていく。
「いけません妖さま!覗き見など」
唇に添えられたぬらりひょんの人差し指を退かし、珱姫は小声で膝の上に寝転がるぬらりひょんを叱る。
「わしは覗き見などしとらんぞ。あやつらが勝手に…」
「そういう問題ではありません!」
頬を薄く染めて小声で叱る珱姫は、怒りで頬を染めているのか恥ずかしさで頬を染めているのか。
「ふむ…」
ぬらりひょんは珱姫に視線を戻すと、ゆったりと膝の上から頭を起こし、ほんのり熱を持った珱姫の頬に指を滑らせた。
「あっ、妖さま…?」
いきなりのことに漆黒の大きな瞳が揺れ、戸惑った様にぬらりひょんを見上げてくる。
その様子にぬらりひょんはクツリと喉の奥で笑い、すぃと顔を近付けた。
「そうむくれるな。孫は可愛いがやはり一番はお主じゃ、お珱。お主ほど愛らしく美しい存在をわしは知らん」
「っ、何を。それは…いくらなんでも言い過ぎです」
かぁぁっと顔を更に赤く染めて珱姫は僅かに瞼を臥せる。
間近に迫った切れ長の金の鋭い瞳がゆらりと熱を帯び、唇が弧を描く。
「そうかの。じゃがわしにとっては事実じゃ」
ひっそりと低く甘く囁かれた声音が空気を震わせ、ふわりと吹いた柔らかな風が簾を揺らした。
「…お珱」
するりと頬を滑り、顎に添えられた指先が珱姫の顔を持ち上げる。
「…っ…妖…さま」
恥ずかしそうに臥せられた珱姫の瞼にふわりと唇が触れ、簾の内側でゆっくりと影が重なった。
「…濡れちまったな」
「ん、着替えに行こう?」
「あぁ。お前が風邪引いちまったら大変だしな」
そんな声をぼんやりと聞きながら、二人の足音が遠ざかって行く。
ふっと離れた唇が耳元に寄せられ、広い胸の中に抱き寄せられる。
「…もうしばしここに居れお珱」
とくり、とくりと伝わる胸の鼓動に、珱姫は頬を寄せ、小さく、けれど凛とした声で応えた。
「はい…」
その瞳にはただ一人、己の全てをとらえて放さない、愛しきものが写っていた。
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